「因果応報」って良く言うけど本当にあるかは疑問なとこ 😥
「良いことをしても損するだけ」「悪いことしてたって別に変わらない」って思うかもです。唯一あるかもって感じるのは何か悪いことが起こった時だけかなって気がします。
ただ少しだけ考え方を変えるだけで「良いことの因果応報」を感じることが出来るかもです。悪いことが起きた時に使う言葉のイメージだけど良いことが起きた時も因果応報でOK。
「因果応報」があるってわかるとちょっぴり幸せな気持ちになるかもです。
今回は旅先であった良いことの因果応報について書きますね 😛
この記事の内容
・店員さんが外まで挨拶しに来てくれた
・「情けは人の為ならず」って言うけどどうなの?
・因果応報を探すのも1つの楽しみなのかも
店員さんが外まで挨拶しに来てくれた
神社に行った帰りに飲食店で、食器を片付けたら店員さんが外までわざわざ出て来てくれて「ありがとうございました」と言ってくれました。なんだかすごくうれしい気持ちになりました 🙂
因果応報だと思えた理由
何かを期待してやったわけではなかったから
食器を片付けた理由はイートイン的なスペースだったから。帰りがけにお皿1つをレジの近くにおいて「ごちそうさまでしたー」って言っただけだったからわざわざ外まで来てくれたことにビックリしました 🙂
因果応報がわかりにくい理由
自分の気分で変わることがある
「片付けたから当然」って思ってたら気づかないかもです。たまたま気持ちに余裕があったから気づけたことじゃないかと。
とはいえいつも「良い因果応報」を探すのはちょっと違うかもです。なんだか期待すると疲れるし 😥
ただ小さな良いことに気づけると気持ちが少し楽になります。気持ちが楽になると自然と穏やかになれるような気がします。そうすると大きな良いことが待ってるのではと。
自然体でいるのが1番だと感じました。あと「ありがとう」「美味しかった」などの言葉を言うだけでも自分の気持ちに余裕が出るような気がします。
立ち寄ったお店。郡山駅から開成山大神宮に向かって大きな道を歩いていった場所にある。どうやらカフェオレのシュークリームが目玉らしい。
「情けは人の為ならず」って言うけどどうなの?
この言葉を聞くと「人の優しくするのがいけない」という意味に思えるかもですが、実際はちょっと違います 😯
何が違うのか?
人の為じゃなくて自分の為って意味だから
諸説ありますけどね。良い因果応報っていうと「良いことをすると良いことが返ってくる」ってことだけど、人に優しくすることも良いことです。ただ「情けは~」って言われると優しくするのってだめなのか?って思うかもです。
でも「人の為ではなく自分の為に優しくするんだよ」ってことなら「因果応報」と同じ意味になります。だから優しくすると優しさが返ってくるんじゃないかと 🙂
因果応報の注意点
悪いことのほうが目立つ
「人は良かったことより悪かったことのほうが覚えてる」ことのほうが多いかもです。経済心理学で有名な「プロスペクト理論」も「得したことより損したことのほうがダメージがでかい」と言ってますので。
とはいえ悪いことが起きてるからといって自分を責めてしまうと暗くなります。反省は必要かもですが。
なので悪いことが続いてる時は「しょうがない」て思うよりは、ちょっとした良いことをしてみると良いかもです 🙂
意外と簡単にできることは多いですよ。
人間関係が良くなると言われる、開成山大神宮。
開成山大神宮の入り口。違う入り口もあるけど写真を取り忘れてしまった・・・
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因果応報を探すのも1つの楽しみなのかも
どうしても大きな良いことを期待をしちゃうけど、わかりにくい「小さな良いこと」に気づけるとちょっとだけうれしくなります。「またやってみよう」って思えるので 🙂
気づけるようにする為に
いちいち意味付けしてみる
「あーこれはこういう意味だったのかな?」「だからこういうことが起こったのかも・・・」って感じで。ちょっと面倒かもだけど 🙂
悪いことが続いてる時はけっこう役に立ちますよ。そういう時ってちょっとした良いことが起こるだけで結構うれしいです。良いことに気づけるだけで毎日が少し変わるかもです。
いちいち因果応報を探すってのが良いことなのか悪いことなのかは、なんとも言えないけど何かを変えるきっかけにはなりますよ。
とはいえ期待しすぎると逆に辛くなります。良いことなんてなかなか起こらないですからね 😥
だから自分が無理せずできるようなことをちょっとづつやるのが1番なのではと。
たまには因果応報を探すのも悪くないですよ 🙂
では、今回はこの辺で。
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